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Genèse1:3

Gn 1:3- Dieu dit : Que la lumière soit et la lumière fut.

 

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Dieu dit : Que la lumière soit et la lumière fut.

1:3 神光あれと言たまひければ光ありき

 

接続法現在。接続法というのは話者の主観的、感情的な事柄を表す。現実かどうかはわからないけど、話者の感情のフィルターを通した事実。ということなので、神様が光があるようにと希望した。という表現のようです。

接続法を使えるかどうかが、フランス社会での教養の物差しの一つ。とものの本に書いてありました。要は、結構高度な文法のようです。

しかし、命令形ではないのは興味深いですね。「光があるように」と命令したわけじゃなくて、「光があるといいな。多分あるんじゃないかな。おそらくあるだろう。」という感じ。

と思ったら違った!

lecture1.kitakama-france.com

・ Queがどこにもかかっていない

・動詞が接続法である

・S+V

ということで「独立節」としてその場に居ない第三者への命令、願望、憤慨などを表す。ということです。

辞書の例文:Alors,qu'il attende!(それなら彼を待たせておきなさい)

偉い人が、使いの者に言伝をしているという文章でしょう。たしかにその場に居ない人に対して、待てと命令している文です。

↑のリンクしたページには、「格調高い文章」と説明されています。この例文にも、うやうやしい感じが出ていると思います。

 

そして、「la lumière fut.」こちらは直接法単純過去なので、その結果として、事実として光があった。ということですね。

 

なんだよ。最初から高度かよ。仏検5級もあやしい私にどうにかなるのかな。